随分と長い間、子どもに勉強を教えていますが、こちらは着実に年を重ねていっても、教えている生徒たちは常に10代です。その年齢差は開くばかりで、いつからか、普通に伝わるだろうと思っていたものが子どもに全く理解されず、さらに補足説明しなければならないことがたまに起こります。このようなことは伝える側の「不親切」だと考えていますので、授業では生徒の年齢や学力に応じて、言葉のチョイスに常々注意しながら説明をしております。100%内容が伝わらなくても、こちらが子ども側に歩み寄る姿勢を見せることで、子どもからも理解する姿勢を見せてくれます。

一般的に、年齢を重ねていけば「若さ」と引き換えに「知識と経験」を身につけるといいます。「子どもっぽさ」はどちらかと言えば「若さ」に潜むものだと思いますが、知識や経験を積み重ねることで、子どもを自分の理想に当てはめるような「固定観念」が構築されてしまい、それが「子ども心」の理解を妨げる可能性があると感じています。

子どもは目的地に向かって歩みを進めている段階で、今進んでいる道の先がどうなっているのかも分かりませんし、ひたすら前を見ていれば、道脇の風景など目に入らないでしょう。一方で大人は自身が辿ってきた道を振り返って、その場その場で過去の自分が選択してきた結果を考慮し、子どもよりも深く大きな視点で物事を見ることができます。親御さんの中でも、自身の経験に基づき、子どもの将来のためを思って指示を出す方は多いと思いますが、広い視野に基づく指示やアドバイスは子どもにとって強い説得力を持たせてくれません。

ここで一つ、心に留めておいてもらいたいことは、自身が経験してきたことは、あくまで「古い情報」であり、今を生きる子どもに当てはめようとしても矛盾が生じます。たとえその情報がどんなに良くても、古いままだとその良さは生かしきれません。一方的な大人の視点で放たれた言葉は子どもの耳に届いても、心にまでは届きません。心に届かないということは理解されないということですから、子どものためを思って言ったところで、実際のところ、子どもには何の助けにもならないでしょう。

ではどうすれば良いのか?

子どもの話をとにかく聞く。子どもの意見にとにかく耳を傾ける。途中で話を腰を折ることなく、上手く説明できないときにはこちらから助け舟を出して、子どもの考えていることを全て聞きだし、子どもの現状に理解を示すことが大切です。子どもがすぐに話してくれれば何よりですが、反抗期に入って親子関係が少しギクシャクした時には、子どもとの適度な「間合い」を探りながら話を切り出してもらうまで、長い時間と忍耐強さが求められるかもしれません。

とにかく、少しでも子どもの気持ちを理解しようという心があれば、近い将来にその思いは子どもの心に届くと思います。