最近、中学受験を題材にしたドラマ「2月の勝者」を見ているかどうかを何度か尋ねられた。私はテレビ離れしてから何年にもなるので、ドラマのことも全く知らないし、問われる度にただ首を横に振るばかりだった。

関東、特に東京の話題を中心に作られる番組ばかりなのも、テレビ離れした一因だが、最近の小中学生はとにかく YouTubeを始めとするネット動画をよく見ている。タレントの話題かなと思って生徒の話を聞いていると、最近はほとんどユーチューバーの話題である。

ネット動画はどれも一度見始めると次々と関連動画が再生され、飽きずに見続けられる設定が施されている。それ故、ネットを扱う際にはテレビよりも、本人の高い自己管理能力が求められる。まだ幼い子どもにとってそれは至難の業であり、子どもが暴走しないように制限をかけておかないと、ネットの負の側面ばかりが子どもに現れてくることになる。

そこで、中学受験を行うにあたり、インターネットの扱いは極めて慎重になる。しかし、現代生活において必需品となっているネットを見るな、触るなとはなかなか強制できない。上手な使い方を示して、その通りに使うことを求めていくより他ない。

それでも上手く運ぶケースは少なく、紆余曲折を経ながら少しずつ家庭内ルールが形成されていく。受験というのは、そうした誘惑に打ち勝つために、どうすれば良いかを考えさせられることの連続である。どのようなルールを決めようが、子ども自身が我慢に耐え、目的を達成することが求められる。

それができない子どもは、中学受験という名の競争において、より高い山頂は目指せないのである。

今の子どもたちは物質面で本当に恵まれている。恵まれているからこそ、そこに頼ってばかりいると、自身の能力について考える機会が減り、物が持つ機能を自分の能力と見誤り、やがて自身の能力を過度に過信する子どもが出来上がってしまうことになる。

そのような子どもはゲームをやっても、感情そのままに爆発させ、勝てば相手を罵り、負ければ悔しがって叫び声をあげたり、物にあたったりする。

子どもが生まれ持った感情というアクセルばかりを強く踏み、成長によって自然に備わるはずの理性というブレーキ性能が全く育たっていない。そうした子どもが近年ますます増えてきたように思う。

中学受験の成功には、理性という名のブレーキ性能を高め、更に運転車本人の知覚能力、すなわち論理的に判断する思考力を高めていくことである。

感情ばかりだと考えることに手を抜き、解ける問題だけ解いて、周囲に自慢する子どもになってしまう。ゲームはすぐに勝ち負けが決まっても、受験勉強はテスト等で得点こそ出るが、それが直ぐには受験結果につながらない。

さらに、塾が敷いたレールに乗っかってしまえば、見た目だけ進んでいるように見えるので問題が全く解決しないまま先送りされ、後々、子どもの受験トラブルに必ず見舞われる。

中学受験は真面目に向き合えば向き合うほど試練の連続であり、受験勉強を通じて、理性と論理に磨きをかけることに最大の価値がある。